僕は3月一杯で月面クロワッサンを退団、ご存じの方もおられるかもしれませんが、落語家になると言って京都を出ました。
12月頃から寄席や落語会に通い詰め、弟子入り先を模索していました。
はたして、この人、という方を見つけて、弟子入りを志願、しかし断られました。
断られるというのは当然のことでして、それでもめげずに何か月も何年も通い続けるのが筋なのですが、どうにもバッキリ心が一旦折れてしまいました。あきません、あきませんね。
僕は僕をもうちょっと、なんというかちゃんとした人間やと思っていたのですが、なんや、逃げ根性言うんですか。そんなん、思ったよりもしみついていて腹が立つのですが、実際そうでありまして、ろくなもんじゃねえ。本当にろくなもんじゃねえ。
で、あきません、あきません、と思いながら実家の加古川で過ごしてしたのですが、これもまたあきません。
どれだけあきませんのや、と自分で自分に問いかけて、そんなことを自分に問いかけ続ける生活もあきません、あきません、あきませんと自問自答し続ける日々に耐えられなくなってしまいました。
そうしているうちに友人のT君に飄々舎というイベントに誘われました。
なんだか救われたような気持ちになって、飄々舎に出演。
そのイベントで正直僕は活躍できませんでした。この活躍できない、という状況は身も震える恐怖でありました。
茫然といたしました。
活躍をできない、という状況に、今まであまり会ったことが無かったからです。ありがたいことに。
なぜ活躍できなかったのか。
僕は面白くなくなったのか。
そう考えるとまたあきませんあきませんあきませんの気持ちがぐるりぐるりと胸の内を駆け巡りました。
外的にもあきません、内的にもあきません。
これではあかんではないか。と思ったのです。
そして次に、あかんままではあかん。と思いました。
僕はどうなることが一番、あかん、のか。
これは非常に自分勝手な話なのですが、おもろなくなることが一番あかんのです。
僕はおもろくなくなった自分を許したり認めたりして生きていく自信が無いのです。
しかしながら今のまま、あきませんあきませんで生活をしているのであるならば、確実に僕はおもしろくなくなる。人様に笑っていただくことができない人間になってしまう。それが前回の飄々舎のイベントに出演した時の実感です。
なので、なのでと言ったらおかしいですが、僕は今回京都でイベントをやるという選択をしました。
おもしろくなくなるのが嫌だから。
ですからもう必死です。おもしろいと思われるために必死です。
そうそう意味では、これはどの舞台に立つときもですが、命がけです。
今回はなんだか余計に命がけなような気がします。
いや、暗いな。暗い。
人様に笑っていただこう、という人が書く文章ではないですね。
しかしながら、今回のことで自分のあかんたれさがよくわかりました。能力のなさ、よくわかりました。
僕の能力の低さのせいでどれだけ人に迷惑をかけているのか、考えるだけでぞっとします。
でも悲しいかな、生まれてしまって、僕はこの能力の低い、あかんたれの自分を生きなければなりません。
放りだしてしまいたい気持ちもあるのですが、あかんたれなので、それをする勇気もありません。
僕は生きていくようです。
生きているからには面白くありたいです。
人に笑って欲しいし、もっとおこがましいことを言えば人を救いたい。
そういう能力が自分にあると思っていたい。
僕の人生を肯定してやる他の価値基準を僕は受け入れることができないのです。愚かです。
今のままでは明日死なない理由が無いのです。
ですから一生懸命おもしろいことを考えます。
なんや、もう、暗くて痛い文章です。
しかしながら書いたような気持ちを持っているのは本当で。
自分が暗くて痛い人間かと思うと、また嫌になりますね。
とにかく。8月15日のイベントは、頑張ろうと思います。
面白くしますので、ぜひ、見に来てください。
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